■■■ 先史時代と神話時代 ■■■
 塩の神様の代表は「塩土の神」あるいは「塩土の爺」でしょう。伊勢神宮、鵜戸神宮、塩竃神社など多くの宮に祭られています。産業の神様、通商の神様、道案内の神様と姿を変えますが、いずれも人間が生きていくための塩をつくり、運んだ先人を祭ったものです。
 古代の塩づくりの遺跡から製塩土器が発掘されています。その後に藻塩焼きが伝えられています。百人一首「来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ」であまりにも有名になりました。しかし藻塩焼きがどのように行われたかは諸説ありますがはっきりしません。広く言われているのは、ほんだわらの表面に乾燥付着した塩に海水をかけてかん水をつくり、これを煮詰めたとされています。宮城県の塩釜神社の末社御釜神社では毎年7月藻塩焼きを模した藻塩焼き神事が行われます。

■■■ 塩田時代 ■■■
 塩田として古いのは、今も能登の残されている揚浜式塩田が約1200年前(平安時代)には文献として出ており、赤穂などで発掘調査も行われた。基本は粘土板の上に砂をまき、その上に海水を撒いて蒸発させて砂表面に塩を析出させ、その砂を集めて海水で溶かしてかん水をつくり、釜で煮詰める方法です。
 昭和30年代まで行われた入浜式塩田は、約500年前(室町時代末期)には行われています。基本は海水満潮面よりやや低い所に砂でできた塩田をつくり、毛細管現象を利用して海水を表面に導き砂上に塩を析出させ、その砂を集めて海水で溶かしてかん水をつくり、釜で煮詰める方法です。
 昭和30年頃から昭和47年まで行われた方法は流下式塩田といいます。ポンプで海水を汲み上げ、わずかに傾斜した粘土盤でつくった塩田上に流して蒸発させ、さらに竹笹などでつくった立体濃縮装置(枝条架)に液滴状で流して風力で濃縮してかん水をつくり、これを釜で煮詰める方法です。

■■■ 現代 ■■■
昭和47年からは、膜濃縮せんごう法が行われるようになり、塩田は姿を消し、工場内で塩をつくるようになりました。

昔の塩のつくり方については、塩事業センターのホームページ「塩百科」に写真を入れた解説があります。

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